超時間的(超物理学的)媒体としての「お食事」

いまさっき食べてまちた、セブンイレブンさんの「飛騨高原牛乳ミルクホイップ

揚げパン」さん、とってもおいちですう~^^。

「昔懐かしい」お味の揚げパンさんに、たっぷりぜいたくにミルクホイップが

挟んでありますと、すっごくステキ~(^o^)(^o^)(^o^)

伝統的に、と言いましても、それはせいぜい戦後以降でしょうけれど、戦後以降

食べられ、飲まれてきた一般的なメニューを敢えて高級化する路線って、タブン

あるでしょうし、そこには、潜在的にものすごい大きな需要が眠っているハズ

なんでしゅが・・・。

・・・例えば給食メニューさんなラ、昔の調理法のまま食材と調味料を高級化

する、あるいは、昔のレシピ通り調理して高級な食材を添加する、このよおな

方法論は、思想的にみますと、「昔の貧しさ」と「現代の豊かさ」とを輻輳

させて、ひとつのメニューの裡に両立させるコトであり、

「貧しさ」と「豊かさ」とを同時に賞味します、ってコトですよネ・・・。

富裕層、貧困層と言われますが、それらが画然と分かたれたのはごくごく最近

のコトだと思います。それまでは、いまほど極端な格差はありませんでした。

しかし、格差が出来てしまった以上は、限定的且つ疑似的にに、「元に戻る」

手段は必要です。

そして、既述のとおり、「貧しさと豊かさ」とを、ひとつのメニューの裡に

輻輳させ、同時に賞味できますお料理さんは、

そのもっとも手近な対象でありましょう・・・(なみだ)。

件の「飛騨高原牛乳ミルクホイップ揚げパン」さんではありませんが、

ひとつの食品、ひとつのメニューの裡に、貧しさと豊かさとのりょうほうを

輻輳させ、それらを同時に賞味します、ってゆ~コトは、

現在の裡に過去を味わい、過去の外延としての現在を規定する(=過去と現在と

の関係を再恢復する)コトでありますとともに、

疑似的なカタチで過去へと戻り、限定的なカタチで共に未来を創出するって

ゆ~コトです。

・・・ちゅまり、「貧しさと豊かさ」「過去と現在」のりょうほうを

輻輳させ、同時に賞味するためのメニューさんがたくさん出来れば、

「お食事」そのものも、単に現実の食欲を消費するためのモノから、

共に(疑似的に)過去へ戻り、共に(限定的に)未来を創出するための、

経済的意味、社会的意味、物理的意味を兼ね備えた特別な「媒体」に

なれます、ってコトなのかもしれまちぇん・・・(なみだ)。

ここには、恐らく、飲食行為の超経済的意味、超社会的意味は言うまでも無く、

超時間的意味までが含意されております。

わたくしの知る限り、これまで、先進国の食と途上国の食をつなぐ等々、

超空間的に食事を共有する試みはよくおこなわれていましたが、

超時間的に食事を媒体化するこころみは、それほど行われていたとは

言えません。

しかし、こうした試みが増えていかなければならないと、

率直に感じます。

(・・・ちなみに、わたくしは本稿で、「お食事」を、超時間的な

媒体と規定しましたが、

この論理は、ゲームでも、ドライブでも、商学的売買でも、きほん的には何にでも

援用可能と思われますので、

そうした周辺研究も、すすめばいいなって思います)